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横浜地方裁判所 昭和61年(行ウ)1号 判決

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  原告

1  第一事件

被告が昭和五九年九月二九日付けでした原告の昭和五八年分所得税の更正処分のうち、課税所得金額三五〇八万三〇〇〇円を超える部分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

2  第二事件

被告が昭和六一年六月五日付けでした原告の昭和六〇年分所得税の更正処分のうち、課税所得金額四一七二万五〇〇〇円を超える部分を取り消す。

訴訟費用は被告の負担とする。

二  被告

主文と同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  原告の昭和五八年分所得税に関する確定申告、これに対する被告の更正(以下「本件処分(一)」という。)、異議申立て及び審査請求の各経緯と内容は別表(一)記載のとおりであり、昭和六〇年分所得税に関する確定申告、被告の更正(以下「本件処分(二)」という。)、異議申立て及び審査請求の各経緯と内容は別表(二)記載のとおりである(以下右の各処分を「本件各処分」という。)。

2  しかしながら、本件処分(一)は原告が昭和五八年中に購入した近視及び乱視矯正用の眼鏡及びコンタクトレンズの代金一一万六一〇〇円について医療費控除を認めなかった点において、また本件処分(二)は原告が同六〇年中に購入した近視及び乱視矯正用の眼鏡の代金八万五〇〇〇円及び診療費用一八二〇円について医療費控除を認めなかった点において、それぞれ所得税法(以下「法」という。)七三条二項、所得税法施行令(以下「施行令」という。)二〇七条及び所得税基本通達(以下「基本通達」という。)七三-一ないし七三-五に違反する違法な処分である。

3  よって、原告は本件各処分の取消しを求める。

二  被告の答弁

請求原因記載の各事実はいずれも認める(但し、診療費用一八二〇円の内訳は、眼の屈折検査、細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査の自己負担額三二〇円と診断書作成の文書料一五〇〇円であり、診療費ではない。)が、本件各処分が法並びに基本通達七三-一ないし七三-五に違反する違法な処分であるとの主張は争う。

三  被告の主張

原告主張の近視及び乱視矯正用の各眼鏡及びコンタクトレンズ(以下「本件眼鏡等」という。)の購入費用及び診療費用(以下「本件購入費用等」という。)は次に述べるようにいずれも医療費控除の対象とならないから、右控除を認めなかった本件各処分は適法である。

1  医療費控除制度の創設とその趣旨

医療費控除の制度は、シャウプ勧告を受けてなされた昭和二五年の税制改正により、医療費が多額で異常な支出となる場合における担税力の減殺を調整する目的で創設されたものである。

2  医療費控除の対象となる医療費の範囲

(一) 法七三条二項は、控除の対象となる医療費について「医師又は歯科医師による診療又は治療、治療又は療養に必要な医薬品の購入その他医療又はこれに関連する人的役務の提供の対価のうち通常必要であると認められるものとして政令で定めるものをいう。」と規定し、これを受けて所得税法施行令(以下「施行令」という。)二〇七条は医療費控除の対象となる医療費を次に掲げるものの対価として限定列挙している。

(1) 医師又は歯科医師による診療又は治療

(2) 治療又は療養に必要な医薬品の購入

(3) 病院、診療所又は助産所へ収容されるための人的役務の提供

(4) あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第三条の三に規定する施術者又は柔道整復師法二条一項に規定する柔道整復師による施術

(5) 保健婦、看護婦又は准看護婦による療養上の世話

(6) 助産婦による分べんの介助

(二) なお、右のうち(2)に規定する「医薬品」とは、薬事法二条一項に規定する医薬品のうちで治療又は療養に必要な医薬品をいうものと解される(基本通達七三-五)。

3  法における「医療費」の判断基準について

医療費控除の対象となる「医療費」については右のとおり施行令に限定列挙されているところであるが、右の「医療費」に該当するかどうかの判断は、疾病に伴う不時の支出や異常な支出による担税力を減殺するという医療費控除制度の趣旨及び目的を踏まえて、社会通念上診療、治療又は療養に当たるかという観点から法七三条、施行令二〇七条を合目的的、合理的に解釈してされるべきものであって、医学上の概念及び解釈は右判断の一資料に過ぎず、これに拘束されるべき必要はない。

4  眼鏡及びコンタクトレンズ(以下「眼鏡等」という。)の購入費用並びにこれに関連する眼の屈折検査及び眼鏡等処方の費用(以下「眼鏡等の購入費用等」という。)の医療費性について

(一) わが国において近視又は乱視(以下「近視等」という。)を矯正するため眼鏡等を装用することは一般的な現象で常態ともいうべき状況にあり、右装用に要する費用は異常な支出と考えられていない。

また、眼の屈折異常は、環境的要因もあるが、遺伝的要因に強く支配されていると考えられており(未だ解明されていない)、医学上は格別、社会通念上ことさら疾病とは考えられておらず、屈折異常の矯正のための眼鏡等の装用は、社会通念上、日常生活の用に供するものと観念され、治療行為とは考えられていない。

(二) のみならず、近視等の屈折異常を矯正するために装用する眼鏡等は医師による眼の屈折検査及び眼鏡等の処方(以下「検眼」という。)を受けなくとも購入することができ、現に眼鏡店における検眼で購入する者の方が多数であって、この点において医師の診療、治療等を前提とする医療費とは基本的に異なる上、屈折異常を医学的方法で正常な状態に回復させるという意味での治療も考えられない(腎臓透析などは機能の回復を目的としないが、これは放置すると生命の危険を生じる上、必ず医師の診療行為が介在しており、このような医療費処置と眼鏡等とを同一に論じることはできない。)から、近視等のため医師による検眼を受け、相当な眼鏡等の装用を受けたとしても、これらはいずれも診療に該当せず、治療にも当たらない。

(三) したがって、近視等による眼鏡等の装用は社会通念に照らしても治療とはいえず、眼鏡等の購入費用等は、法及び施行令の規定及び解釈上後に記載する特別な場合を除いて医療費控除の対象となりえないのであるから、本件購入費用等が医療費控除の対象となる余地はない。

(四) なお、国民健康保険法における療養費の支給(五四条)の解釈、運用においても眼鏡等の購入費用が治療遂行上必要な治療用装具ではなく、日常生活や職業上の必要性によるものであるとして療養費給付の対象とされていない。

5  基本通達について

医療費控除の対象となる医療費の範囲は法七三条二項及び施行令二〇七条に規定するところであるが、右規定による医療費よりもこれに付随ないし関連する費用の負担の方が重くなっているその後の実情を担税力の調整という本制度の趣旨に照らして税務の執行面に反映させるために定められたのが基本通達七三-三である。

すなわち、一般に医療用具と言われるコルセット等を例にとってみても、医師がこれを自ら治療の一環として装着し、その費用が診療又は治療の対価として医師に支払われる場合には医療費控除の対象となるが、これを患者が業者から購入して自ら装着した場合にはその対象とならないというのでは医療費控除制度の趣旨を反映したものといいがたいことから、右法令の許容する範囲を最大限に考慮して税務を執行するべく、基本通達七三-三によりこの不都合を是正することとしたものである。

したがって、右基本通達の定めは飽くまでも前記法七三条二項及び施行令二〇七条の定めを前提とするものであって、基本通達の定める医療費の範囲が医師、歯科医師、施行令二〇七条に定める施術者及び柔道整復師、助産婦(以下「医師等」という。)による診療、治療、施術又は分べんの介助(以下「治療等」という。)に必要な費用に限られるのはいうまでもなく、医療用具についても、医師が自ら行う治療のために使用することが予定されているものに限られるのであって、右基本通達の定めを更に拡大解釈することは許されない。

6  本件購入費用等の医療費性について

原告は基本通達七三-三により、義手、義足、松葉づえ、補聴器及び義歯の購入費用が医療費控除の対象とされていることを根拠として、本件購入費用等が医療費控除の対象になる旨主張しているが、次のとおり右主張は失当である。

基本通達七三-三の(2)には「自己の日常最低限の用を足すために供される義手、義足、松葉づえ、補聴器、義歯等の購入のための費用」と記載されているが、基本通達七三-三はあくまで医師等による診療や治療などのために直接必要な費用に限定してこれを例示しているのであるから、日常最低限の用を足すために供される義手等の購入のための費用であっても医師等の診療等にかかわりのないものについては医療費控除の対象となりえない。

すなわち、症状が固定して治療の必要がなくなった後において購入された義手、義足又は松葉づえの費用や、回復の望めない老人性難聴者がその聴力を矯正するために購入した補聴器の費用などは、もはや医師等による診療等と関係がないから医療費控除の対象とはならず、また、医師等の治療中であっても当該治療とかかわりなく購入された補聴器等については右と同様である。

このことは眼鏡等の購入費用等についても同様であって、白内障、緑内障等の眼の疾病により医師の診療を受け、医師から治療上必要であると認められた眼鏡等(保護眼鏡)、医師等が治療上必要であると認めた幼少児に対する遠視矯正用眼鏡、又は交通事故等で眼に外傷を受けたことにより医師が治療上必要であると認めた眼鏡等は、まさに治療のために必要なものというべきであり、そのための費用は医療費控除の対象となるのである。

しかしながら、本件眼鏡等のように近視等の屈折異常を矯正するために装用する眼鏡等の購入費用等は、医師等の治療行為とは全く無関係な行為であるから、施行令二〇七条一号の「医師又は歯科医師による診療又は治療の対価」に当たらない(眼鏡店で検眼の上購入する眼鏡等の対価は眼鏡店に対する支払いである。)ことはもとより基本通達七三-三の「医師等の診療等を受けるために直接必要な費用」にも該当しないから、医療費控除の対象となることはないのである。

なお、義歯の装着は歯列の変性を食い止める必要等によりなされる治療行為で、その費用は歯科医師の診療又は治療の対価として歯科医師に支払われるものであり、しかも治療のための医療用具にも該当しないから、これを本件眼鏡等と比較して論ずることは無意味である。

更に付言するなら、医療費控除制度創設の当時には、治療のための補助的な医療用具は、医師が治療の一環として自ら装用した上、その費用を治療等の対価に含めて支払を受けていたためこれが医療費控除の対象とされていたと考えられるのであって、そのような医師等の治療のための補助的な医療用具と性格を異にする眼鏡等はそもそも当初から医療費控除の対象の埒外であったということができるのである。

7  以上のとおり、近視等の屈折異常を是正するために眼鏡等を装用することは治療行為に該当せず、その費用をもって法七三条、施行令二〇七条及び基本通達に定める医療費ということはできないから、本件購入費用等について医療費控除を認めることはできない。

なお、原告が主張する診療費用一八二〇円のうち細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査は治療の必要によりなされたものではなく、これにより治療がされてもいないから、いわば健康診断のためにされたものであって、医療費控除の対象となることはない。

四  原告の認否と反論

1  医療費控除制度の制定とその趣旨が被告の主張1記載のとおりであることは認めるが、近視等はまさにシャウプ勧告にいう「慢性的疾病」に該当するものである。

2  被告の主張2記載のとおり法七三条二項及び施行令二〇七条に規定のあることは認めるが、その主張は争う。

3  被告の主張3は争う。

4  被告の主張4は争う。

(一) 医療費控除制度創設の趣旨である担税力を減殺すべき「異常な支出」とは本来支出しなくともよい費用、すなわち病気に罹患したために支出する費用をいうのであって、眼鏡等の購入費用等は正にこれに該当するというべきである。わが国で眼鏡等を装用するのが一般的であるとの理由でこれが異常な支出でないとして医療費であることを否定することは医療費控除制度の趣旨を逸脱した解釈であり、ほとんど誰もが罹患する風邪の薬剤について医療費控除がされていることと対比しても明らかに矛盾している。

(二) 近視等の屈折異常に対しては現在のところ眼鏡等の装用以外に治療方法がないが、わが国では約四〇〇〇万人もの膨大な人が眼鏡等を必要としているため医師と眼鏡店の分業体制がとられており、医師の診療を受け、その指示により眼鏡店で眼鏡等を購入することはもとより、直接眼鏡店で検眼して眼鏡等を購入することも少なくない。

これらの眼鏡等は、医師の診療を受ければ治療に直接必要な医療用具として装用を指示されることは明らかであるから「患者が医師等による治療に直接必要なものとして購入した医療用具の購入費用」又は「医師等が通常の治療行為に使用する器具を患者が自ら購入する場合」に該当するのである。

(三) 同(四)記載のとおり国民健康保険による療養費の支給の解釈、運用がされていることは認める。しかし、同じ医療費であるにもかかわらず、一方の国民健康保険制度において検眼費用のみを療養費として認め、眼鏡等の購入費用等ともに補聴器の購入費用を療養費とすることを否定しておきながら、他方の医療費控除制度においては補聴器の購入費用について医療費として認めながら眼鏡等の購入費用等を医療費としていないこと自体が矛盾であり、到底容認できないことなのである。

5  被告の主張5のうち、基本通達の定められた趣旨は認めるが、主張は争う。

6  被告の主張6のうち、基本通達七三-三及びその(2)の各規定内容と原告が右を根拠として本件購入費用等が医療費控除の対象となる旨主張していることは認めるが、被告の主張は争う。

基本通達七三-三の(2)で規定されている「義手、義足、松葉づえ、補聴器、義歯等」に眼鏡等が含まれることはいうまでもなく、これを否定する被告の主張は「耳と歯は生命の維持に必要不可欠であるが、目は生命の維持に必要がない。」と言うのに等しいもので、到底納得できるものではない。

また、原告は、左右の眼の視力が〇・〇五ないし〇・〇七という強度の近視及び乱視であり、医師の診断を受け、近視の治療上必要であるとの診断に基づいて昭和六〇年に眼鏡を購入したのであるから、これは医師による診療や治療などのために直接必要な費用というべきである。

医療費控除の対象については、基本通達七三-四に健康診断の費用及び容姿を美化し又は容貌を替えるための費用について規定があるものの他に何らの除外もなく、法、施行令及び基本通達のどの条文にも眼鏡等を除外することを認めた規定はないのであるから、近視等の補正のために装用する眼鏡等だけを治療行為と全く無関係として全面的に医療費控除の対象から除外する合理的理由は存在しない。

7  被告の主張6、7は争う。

8  近視等の疾病性について

近視等は眼の屈折異常による疾病であり、シャウプ勧告にいう「慢性的疾病」に該当するが、近視等による眼精疲労が原因となり、頭痛、めまい、肩こり、胃腸障害等、全身的疾患の原因となることも少なくない。

特にコンタクトレンズの場合には収差がないので物が歪んで見えず、角膜の乱視も消失するので近視等の進行が停止する。

右屈折異常によるところの身体の構造機能の欠陥を是正してより正常に近い状態に戻すためには眼鏡等の装用が必要不可欠であり、薬事法二条四項に基づいて政令で定めた医療器具として「視力補正用眼鏡」及び「視力補正用レンズ」が記載されていることから明らかなように、眼鏡処方は法的に定められた医療行為なのである。

被告は、白内障、緑内障等の眼の疾病の場合の保護眼鏡、あるいは幼少児に対する遠視矯正眼鏡と称して、あたかもこれらの眼鏡等の装用が近視等の場合の眼鏡等の装用と目的を異にするように主張しているが、眼鏡等の装用自体の目的は屈折異常の矯正であることに変わりがなく、そのことによって身体の構造機能の欠陥を是正してより正常に近い状態に戻すという治療行為なのである。

また、被告は社会通念なる概念を持ち出し、社会通念により治療に当たるか否かを判断すべきである旨主張しているが、治療とは、医学的方法を用いて身体の異常な状態を正常な状態に戻し、又は身体の構造欠陥を是正してより正常に近い状態に戻すことをいうのであって、その概念それ自体が医学の分野に関するものであるから、医学上の解釈によるのは当然であって、あえて社会通念なる概念を持ち出して本件購入費用等の医療費性を否定するのは全くの詭弁に過ぎない。

のみならず、眼鏡等の購入費用等は社会通念上も医療費であり、生計費の範疇には属していない。現にアメリカ合衆国では、近視等の補正のために装用する眼鏡の購入費用等を松葉づえ、補聴器、義歯等と同様に医療費控除の対象としている。

9  以上のとおり、本件眼鏡等の装用はまさしく治療であるから、これが治療でないとして本件購入費用等の医療費控除を否定する被告の主張は到底是認されるものではなく、本件各処分はいずれも違法である。

第三  証拠の提出関係〈省略〉

理由

一  本件各処分等の経緯と内容

原告の確定申告、本件各処分、異議申立て及び審査請求の各経緯と内容が別表(一)、(二)記載のとおりであることは当事者間に争いがない。

二  本件各処分の適否について

原告が昭和五八年中に購入した近視及び乱視矯正用の眼鏡及びコンタクトレンズの代金一一万六一〇〇円について医療費控除の適用があるものとして確定申告をしたところ被告は右医療費控除を否定して本件処分(一)をしたこと、及び原告が昭和六〇年中に購入した近視及び乱視矯正用の眼鏡の代金八万五〇〇〇円及び診療費用一八二〇円(〈証拠〉によると、診療費用一八二〇円の内訳は、眼の屈折検査、細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査の自己負担額三二〇円と診断書作成の文書料一五〇〇円であると推認される。)について医療費控除の適用があるものとして確定申告をしたところ被告は右医療費控除を否定して本件処分(二)をしたことはいずれも当事者間に争いがなく、右事実及び弁論の全趣旨によれば右医療費控除の可否以外の課税根拠に争いがないことは明らかであるから、以下において右医療費控除の可否について判断することとする。

1  医療費控除制度の創設とその後の法改正

医療費控除の制度は、シャウプ勧告に基づき昭和二五年の税制改正により医療費が多額で異常な支出となる場合における担税力の減殺を調整する目的で創設されたものである(〈証拠〉)。

すなわち、シャウプ勧告は、時折生じる医療診察にかかる普通の費用について控除を認めることは別に基礎控除で償われていると見られる生計費について更に控除を認めることになって税務行政に不当な負担を負わせることとなるので所得の一〇パーセントを超える(以下この最低限度額を「適用最低限度額」という。)限りにおいて控除を認め、また、富裕な納税者が温泉、休暇、旅行等の同種の長期滞在の費用を医療に装って控除を試みることを防止するために控除の最高限度額(以下「控除最高限度額」という。)を一〇万円とすることを勧告しており(前掲乙第一号証)、これを受けて昭和二五年法律七一号、昭和二五年政令六九号をもって法及び所得税法施行規則の各改正がなされ、右改正にかかる法一一条の四において命令で定める範囲の医療費が所得金額の一〇分の一を超過するときにその超過額(但し一〇万円を限度とする。)の控除を認めることとし、所得税法施行規則で右医療費の範囲を、(1)医師又は歯科医師による診療又は治療、(2)病院、診療所又は助産所への収容、(3)あんま、はり、きゅう、柔道整復等営業法に規定する施術者による施術、(4)看護婦による療養上の世話、(5)助産婦による分べんの介助、(6)処方箋による医薬品の購入、と規定したのである。

そして、その後の法改正で右適用最低限度額及び控除最高限度額等について順次改正がされてきたが、昭和四〇年法律三三号により前記法の定めが七三条として全文改正され、適用最低限度額、控除最高限度額及び医療費の範囲の部分を除いてほぼ現行法どおりの体裁と内容に改められ(医療費の範囲については、現行の法七三条二項では「医師又は歯科医師による診療又は治療、治療又は療養に必要な医薬品の購入その他医療費又はこれに関連する人的役務の提供の対価のうち通常必要であると認められるものとして政令で定めるものをいう。」と規定され、「通常必要であると認められるもの」という限定が付加されて更に適用範囲に絞りがかけられている。)、また右法改正に伴い施行令二〇七条で医療費控除の対象となる医療費を次の(3)ないし(6)に掲げるものの対価として限定列挙することとなった(現行の施行令二〇七条ではこれが(1)ないし(6)とされている。)。

(1) 医師又は歯科医師による診断又は治療

(2) 治療又は療養に必要な医薬品の購入

(3) 病院、診療所又は助産所へ収容されるための人的役務の提供

(4) あん摩マッサージ指圧師、はり師、きゅう師等に関する法律第三条の三に規定する施術者又は柔道整復師法二条一項に規定する柔道整復師による施術

(5) 保健婦、看護婦又は准看護婦による療養上の世話

(6) 助産婦による分べんの介助

2  基本通達について

このように法七三条二項及び施行令二〇七条の規定は医療費控除の対象となる医療費として医師等による診療等の対価を限定的に列挙するのみであったが、その後の社会保険制度の充実や医療技術の進歩に伴って右規定による医療費よりもこれに付随ないし関連する費用の負担のほうが重くなっている状況となったことから、この実情を踏まえて担税力の調整という医療費控除制度の趣旨を税務の執行面に反映させるために定められたのが基本通達(昭和四五年七月一日付直審(所)第三〇号)七三-三である。(成立に争いのない甲第二〇号証、乙第二号証、以下本号の認定はこれによる。)。

すなわち、右基本通達七三-三は、次に掲げるもののように医師等の診療等を受けるために直接必要な費用は医療費に含まれるものとするとし、左記(1)ないし(3)の各費用を例示している。

(1) 医師等の診療等を受けるための通院費もしくは医師等の送迎費、入院もしくは入所の対価として支払う部屋代、食事代等の費用又は医療用器具等の購入、賃借もしくは使用のための費用で、通常必要なもの

(2) 自己の日常最低限の用を足すために供される義手、義足、松葉づえ、補聴器、義歯等の購入のための費用

(3) 身体障害者福祉法三八条、精神薄弱者福祉法二七条もしくは児童福祉法五六条又はこれらに類する法律の規定により都道府県知事又は市町村長に納付する費用のうち、医師等の診療等の費用に相当するもの並びに(1)及び(2)に相当するもの

なお、基本通達七三-四では、いわゆる人間ドックその他の健康診断のための費用や容姿を美化し又は容貌を変えるなどのための費用は医療費に該当しないとし、更に同七三-五で右のうち(2)に規定する医薬品とは、薬事法二条一項に規定する医薬品のうちで治療又は療養に必要な医薬品をいうとしている。

3  以上によれば、医療費控除の制度はシャウプ勧告を受けた税制改正によって創設され、当初は医療費性が明確でかつ控除の対象とすることに問題のない医師等に対する診療等の対価に医療費の範囲が限定された(施行令二〇七条)が、その後の社会保険制度の充実や医療技術の進歩に伴って右規定による医療費よりもこれに付随ないし関連する費用の負担の方が重くなっている状況となったことから、基本通達七三-三をもって右医療費の範囲を拡大して医療費控除制度の趣旨を税務の執行面に反映させることとしたものと解される。

もっとも、医療費控除の範囲の拡大を法七三条二項で委任されている施行令をもって行わずに行政庁の基本通達をもってしていることからすると、右基本通達の定めは飽くまでも施行令二〇七条の定めを前提とし、施行令の定める医療費の範囲を基本通達により明らかにする方法で、いわば施行令の解釈として、医療費として控除される範囲を運用の実際において実質的に拡大したものというべきである。したがって、基本通達の定める医療費の範囲が施行令二〇七条の規定による制約の範囲内に止まるべきであるのは当然であって、基本通達の定める医療費の範囲が施行令に定められている「医師等による診療等」を受けるために直接必要な費用に限定されるのはいうまでもなく、医療用具についても、医師等が自ら行う治療等のために使用することが予定されているものに限られ、医師等による診療等にかかわりなく購入された義手、補聴器等の医療用具の購入費用はこれに該当しないというべきである。

もとより、このように所得税の課税に当たって一定の所得控除を認めることは所得税の公平な負担という観点から必要な事柄ではあるが、他面そのことによって税務行政に多大な負担を生じることを考えるなら、所得控除の対象となる費目の設定はすぐれて政策的なものであり、加えて控除対象を明確にする必要性も無視できないことに鑑みると、法及び施行令が無限定に全ての医療費を医療費控除の対象とする方法を取らずに前記のとおり医療費の対象を限定列挙していることはやむを得ないところである。

4  眼鏡等の購入費用等の医療費性について

そこで、以上にみた医療費控除制度の趣旨及び規定の解釈を前提として、次に眼鏡等の購入費用等が控除すべき医療費に該当するのか否かについて検討する。

(一)  〈証拠〉によると、近視等の眼の屈折異常は、環境的要因もあるが遺伝的要因に強く支配されていると考えられている(未だ解明はされていない。)こと、特にわが国においては眼鏡等を装用している者が四〇〇〇万人にも昇るといわれ、近視等を矯正するため眼鏡等を装用することは一般的とも見られる現象であること、眼鏡等の装用のみならずその前提となる検眼についてもこれを医療として医師法(昭和二三年七月三〇日法律二〇一号)、医療法(同日法律二〇五号)の規制にかからしめていない歴史的経過などにより、眼鏡店における検眼及び眼鏡等の装用には事実上制約がなく、医師の検眼を受けなくとも眼鏡等を購入することができ、現に眼鏡店における検眼で眼鏡等を購入する者の方が多数であることの事実が認められる(もっとも、右各証拠によれば、眼科医を中心に、検眼は医療行為であるとして眼鏡店における検眼を禁止すべきである旨の主張がされてることも認められるが、未だ右状況を変えるには至っていない。)。

しかも、右各証拠を総合すると、近視等の屈折異常は当面眼鏡等の装用によってこれを矯正する以外に是正の方法がなく、眼の機能それ自体を医学的方法で正常な状態に回復させるという意味での治療は考えられないのであって、医師の検眼を受ける場合でも、医師の医学的審査により隠れた疾病が発見されるのは格別、近視等のために眼鏡等を装用することを前提とした検眼としては、単に屈折異常の程度を計測して眼鏡等による矯正の必要度を判断するのに過ぎず、医師がこれを行う場合であっても眼鏡店における検眼と基本的に異なるものではないと認められるから、検眼それ自体としては医師がその専門的知識、技能及び経験をもって行うべき診療ないし治療とは断定しがたいところである。

また、歴史的には、今日のように光学的機器が発達して精密な検査が可能となり、あるいは近視等に潜む病変の存在が叫ばれ、医師による検眼の必要性が主張されるようになった以前は、眼の屈折異常の是正方法は、眼鏡店に赴いて簡便な視力検査を行った上、屈折度の異なる種々の凹、凸レンズを試用し適切なレンズを選び出して眼鏡を作製購入するのが通常であって、右作業は一定の知識と技術をもって足り、ことさら医師による専門的技能を必要としなかったことから、多くの需要者の求めに応じて多数の眼鏡店が開業されることとなり、現状においてもその状態に特段の変化はないものと認められる。

このため現在でも全国に多数の眼鏡店が存在し、法制上も眼鏡店は薬事法二条に定義する「医療用具」である「視力補正用眼鏡」及び「視力補正用レンズ」を販売するものとして同法三九条一項による届出をすることで自由に開設でき、検眼は右販売の一環とされているのが現状である。

(二)  このように検眼が医師の医療行為として規制されずに極めて多数の者が日常的に多くの眼鏡店において検眼と眼鏡等の装用を行い、また検眼それ自体においても医師がその専門的知識、技能及び経験をもって行うべき技術性と専門性を認め得ないという状況のもとで医療費控除制度が創設されていること、及び当初の立法において医療費控除の対象項目に眼鏡店における眼鏡等の装用の記載がなく、医療費控除の対象が「医師又は歯科医師に対する診療又は治療の対価」の支払や「処方箋による医薬品の購入」の費用等に限定されていたことに鑑みると、それ自体として医療行為性が希薄で医師の医療行為として確立されていなかった眼鏡等の装用及びその前提としての検眼は法及び施行令の立法の趣旨において医療費として把握されず、医療費控除の対象とされていなかったものと考えるのが自然であって、このことはその後の長年の徴税実務の実態において眼鏡等の購入費用等について医療費控除が行われていないことや法及び施行令の改正において眼鏡等の購入費用等について医療費控除の適用を窺わせるようなものがなく、基本通達においても後記のように眼鏡等を特に除外していると認められることからも間接的に窺われるところである。

(三)  以上に対し原告は、近視等が医学的見地からして疾病であり、眼鏡等の装用はその治療である旨主張するが、単に疾病といっても日常の些細なものや基準の取り方によっては異常と言いえないようなものから生命の危険を伴うような重篤なものまであり、また、治療にしても、専門知識のない者が行う簡単な日常的行為から専門の医師が行う高度な行為まで考えることができるのであって、その概念の周縁は広範であるところ、その中でどの範囲のものを疾病として治療として医療費控除の対象とするかは医療費控除制度の趣旨のみならずこれが税務行政に及ぼすところの負担の程度や徴税実務上の問題の存否等を考え併せながら策定され、解釈されるべき事柄であって、必ずしも医学上の概念と解釈にのみ依拠し、これと一致させて考える必要はないというべきであるから右主張は理由がない。

また、原告は、わが国で眼鏡等を装用するのが一般的であるとの理由でこれが異常な支出でないとして医療費であることを否定することは医療費控除制度の趣旨を逸脱した解釈であるとも主張しているが、前記のように所得控除の対象となる費目の選択と設定はすぐれて政策的なものであるから、右対象の選択、設定の際に医療費性についての社会一般の受け止め方や医療としての技術性、専門性のみならずわが国で多くの者が眼鏡店における検眼により眼鏡等を装用し、しかもこれが医療行為として規制されずに容認されていたという事情を斟酌して法及び施行令の制定をすることに何らの不都合もなく、右立法の趣旨を踏まえて法解釈をすることもまた当然のことであるから、原告の右指摘は首肯しがたいというべきであるし、風邪の薬剤について医療費控除がされていることと対比して眼鏡等の購入費用等の医療費不控除の矛盾をいう原告の指摘も、諸事情を斟酌した結果としてなされた前記立法における政策的判断の結果を非難するもので的を得たものではなく、これまた採用できない。

(四)  更に、原告は、同じく医療費であるのに、国民健康保険制度では検眼費用のみ療養費として認めて眼鏡等の購入費用や補聴器の購入費用を否定し、他方医療費控除制度においては補聴器の購入費用のみを医療費として認めて眼鏡の購入費用等を否定していることが矛盾である旨主張している。

しかし、国民健康保険の被保険者に対してどの程度と範囲の保険給付を実施するのかは、国民健康保険法の趣旨、目的のもとで独自に決定すべき事柄であって、これを医療費控除におけると同一にしなければならない理由はないから、右主張も採用できない。

(五)  以上によれば、眼鏡等の装用及び検眼は、そのいずれもが法及び施行令が予定している診療又は治療に該当しないから、そのための費用が施行令二〇七条一号所定の「医師又は歯科医師による診療又は治療の対価」に該当することはない。

また、眼鏡等は医薬品に当たらないから、同条二号所定の「治療又は療養に必要な医薬品の購入」にも該当しないのであって、施行令のその他の各号に該当しないことも明らかであるから、結局、眼鏡等の装用及び検眼の費用はいずれも施行令二〇七条に該当せず、医療費控除の適用はないというべきである。

(六)  次に原告は、基本通達七三-三の(2)に「自己の日常最低限の用を足すために供される義手、義足、松葉づえ、補聴器、義歯等の購入のための費用」と記載されていることを根拠として、眼鏡等がこれに含まれる旨主張しているが、わが国で四〇〇〇万人もの人間が眼鏡等を装用しているという前記事実に照らしてみるなら、右控除の対象として眼鏡等を含ませる場合には右条項のまず最初にこれを例示するのが自然であると考えられるし、また、基本通達七三-三は、「医師等の診療等を受けるために直接必要な費用」として右義手等を例示しているところ、前記のように医師と関係なく眼鏡店で検眼の上眼鏡等を作製購入することが一般的であった事情のもとでは、白内障の治療等医師が行うべき医療行為に伴って、これに必要なものとして検眼及び眼鏡等の装用が行われるときは格別、単に近視等の屈折異常の矯正のために眼鏡等の装用がされる場合にこれが右基本通達に規定する「医師等の診療等を受けるために直接必要」なものとはいいがたいから、この点からも原告の右主張に無理があるといわざるをえず、眼鏡等は右基本通達の規定上除外されていると見るべきであり、前記法及び施行令の趣旨に照らしても、右のように眼鏡等を除外したことが法及び施行令に違反すると認めることはできない。そして、基本通達七三-一、二、四、五の各規定も原告の主張を認めるに足りるものではなく、その他原告の主張を認めるに足りる証拠はない。よって、この点の原告の主張も採用できない。

5  本件各処分の適法性

以上によれば、法七三条二項、施行令二〇七条及び基本通達七三-三の解釈において眼鏡等の購入費用等はそのいずれの定めにも該当せず、医療費控除の対象とならないものであるから、本件購入費用等について医療費控除は適用されないものである。

なお、原告が主張する診療費用一八二〇円のうち細隙灯顕微鏡検査及び眼底検査は、近視等の矯正のために眼鏡を装用する前提としての検眼に付随してされたもので原告の愁訴又は格別の疾病の存在を前提としてその診断治療の必要によりなされたものではなく、現にこれに引き続いて治療がされてもいないから、健康診断のためにされたものと同視でき、その費用が医療費控除の対象となることはない(基本通達七三-四)。

三  結論

よって、被告がした本件各処分は適法であり、原告の本訴請求にはいずれも理由がないからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担について行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判官 宮岡 章 裁判官 今中秀雄 裁判長裁判官 川上正俊は転補のため、署名、捺印できない。裁判官 宮岡 章)

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